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2021年3月7日

続けること、やめること 最凶の営業、訪問販売

15年も続けてこれたのは、、、

実は
シナジーデザインは来月2021年4月で創業15周年になります。
(会社の登録をした「設立」からは13年です。)

けっこう長いですね。

15年で15人の会社なので、
ITにしたら成長スピードは遅いですが、
その間に潰れていった会社も知っているだけで多くあるので、まぁ良しとします。

15年ということは、
今年大学を出た 23歳の人が8歳の頃からシナジーデザインはあるわけです。

小学校で九九を習いはじめた頃から自分はこの業界にいたことになります。

当時の写真がほぼなかったのですが
キメ顔の写真があったので掲載しておきます。

そこからいろいろとたくさんの経験をしました。
出来ないことが出来るようにもなりました。
WEBはもちろん、デザインも、プログラムも学校に行かずにネットの情報か本で学びました。
経営についても学校や師匠から学んだわけではありません。

もちろん、大変なことだらけでしたが
ずっと辞めずに潰れずに続けてこれたのは、
お客様をはじめとする周りの方の協力をいただいたことです。

と、それだけでは
何の参考にもならないと思うので、
当たり障りのあることを言いますが、
生き残るうえで最も大きかったのは、
自分の営業力に絶対の自信があったからです。

家族やお客様への感謝の気持ちは揺るがないのですが、
良いお客様がいても最愛の家族がいても会社をつぶす人はいます。
なので家族やお客様が続けられる要因ではないとも言えます。

この15年間、自分の営業力への自信が、自分の支えになっていました。
ゴリゴリの営業は極力しないようにしていたのですが、
いざとなったら売れる、という自信があることでなんとか続けてこれました。

実際に売らなきゃ生き残れない状況で何度も営業力を使って切り抜けても来ました。

大きな会社への営業は今も得意ではないですが、
一対一の営業なら今も他の営業マンに負けない自信があります。

そんな営業力への自信はなぜついたのか?

それは、過去に営業力の基本を鍛えた最悪な2年間があったからです

最凶の営業。訪問販売

浪人を経て大学に受かったものの
大学に進学せず、
フリーターを5年続けた自分が
初めて正社員になったのは24歳になったばかりの頃。
訪問販売の会社でした。

個人宅への
訪問販売の会社は
今はほとんどなくなりましたが、昔は求人情報誌の主役でした。

今でも求人誌の紙面で多く見られる
地方の住み込みの工場勤務や、パチンコ店のバイト以上に
たくさんの訪問販売の求人広告が紙面を埋めていました。

月収100万円可能!
みたいな見出しで茶髪にグラサンのお兄さんがピースサインをしている、みたいな。

社員旅行でハワイに行ってきました!みたいな、
そんな広告があふれかえっていた時代です。

どーーーんと見開きで4ページに同じ会社の広告、みたいなのもありました。
とにかくお金をかけて
同じ会社が
ずっと求人を出している訳です。

なぜかというと、メッチャ辞めるから。

今の人は想像できないかもしれませんが、
大げさじゃなく、
10人が入って、3か月後に1人しか残っていない、とかそんな世界です。

一応
正社員の身分での入社ですが、社会保険が付くのは3ヶ月後とか下手したら半年後。
売れなければそれまでに切られるわけです。
普通の正社員ではないですよね。

そして基本給も最低賃金。
自分は幸いにもノルマを切ったことが無かったのですが、
売れていない同僚に聞くと手取りが7万円とかって言ってました。
最低賃金からさらに謎のお金が引かれていたようです。

だから会社からクビにされなくても、売れなければ続けられない世界です。

でも、自分は辞めずに続けました。

辞めたら最後。ここを辞めたら人生が終わる。
そう思って必死に喰らいつきました。

理由は簡単。
借金があったからですね。
アルバイト時代に車をローンで買ったのと、今でいうパチンコ依存症になって、
借金が300万円ほどあったんですね。

バカですね。20代の男って。今も昔も、まぁバカな訳です。

で、それだけ借金があると普通のバイトをしていては返せない。
だからリスキーな職種で稼ぐしかなかったわけです。

絶対に辞めない、ってか辞めれない、と思って入社した訳です。
当時は和歌山の白浜温泉に住み込みで働いていて、
大阪に住む家がなかったので

寮ありと求人に書いているところを選んで入社しました。

家が無いと困るので、面接のときにも、寮には入れると面接官に確認をして、部屋を引き払って入社したのに
ノルマに達しないと寮には入れない入れても最短で1か月後だよ!
とさらっと事務の人に入社日に言われて、途方に暮れたのを覚えています。

5年間会っていなかった父親に土下座して1ヶ月だけ寝る部屋を貸してくれとお願いをして、
なんとか寝る場所を確保したのも書きながら思い出しました。

大変ですね。

売れないと家がなくなる環境だったわけですもんね。

でも、
最初の月が一番苦戦しました。
営業をしたことがない
フリーター上がりの20代前半の男。

売れない。
ってか売れるイメージが沸かない。

数十万する商品を会ったばかりの人に売るイメージが全く沸かない

だから
同期で、辞めなかった人の中では一番契約を取るのが遅かったです。

でも、
この会社の成果の数え方は
自分で売らなくても、売れる人を見つけてくる「アポ」でもノルマは達成できる仕組みでした。

通常の契約なら
アポ1ポイント+クロージング1ポイント 合計で2ポイント。
7ポイントでノルマ達成だったので、3台半売れればいい計算になります。

でも自分はクロージングが出来ない。
だからアポを取るしかない。
だから人の倍くらい走り回って、契約になるお客様を見つける「アポ」の件数だけで5ポイントを稼ぎました。
それでも2ポイント足りない。

そこで、自分で自社の商品を買う禁断の「自己買い」で40万円の商品をローンで買って、最初の月にノルマを達成しました。

もうお気づきですね。
借金を返したくて入った会社なのに、いきなり1ヶ月目で借金が増えたわけです。

入社したばかりの人にローンを組ませて、商品を買わせる。

うん、
ブラックですね

完全にブラックです。
書いていて、思い出して、確信しました 笑

話を戻します。

で、
週に休みは1日
日曜日のみ。しかもノルマに達していなかったら
「ノルマに行ってないけど、休むの?」
みたいなプレッシャーがあって、日曜日も結構、仕事してました。
自分がノルマに行っていても部下が達していなければ同じようにプレッシャーを受けます。
だから、けっこう日曜日に出社していました。

朝は8時から、夜は大げさではなく12時を回って帰る日々。
当時、同棲していた彼女が深夜12時前に帰って来た自分を見て、
「お帰り。今日は早いね」
って言ってたのを思い出します。

や、早いことあるかい

社用車の軽のハコバンで動いていたのですが、
車でアパートの下までたどり着いても上に上がる元気がない。

なので、そのままアパートの下で寝てしまって、
朝起きてシャワーだけ浴びてそのまま会社へ、みたいな生活でした。

当時は20代前半でしたが、
ユンケルとかの滋養強壮剤も飲みすぎて効かなくなって、
オールPという長距離トラックの運転手が飲むようなアンプルを飲んで仕事をしていました。

オールPのご購入はこちらから笑

このオールPはかなり危険で、
飲みすぎた同僚は20代後半で糖尿病になって退職に追い込まれていました。

まさに命を削って仕事をしていた感じですね。

仕事をしながら、ほんとに倒れるかも、って日が何度かありました。

その中でも特にひどかったある日、
チカラが入らずに頭も回らない。
そんな中お客さんを見つけるためにインターフォンを鳴らしていました。

もう、ヤバイって思いましたが、その時に頭に浮かんだのは
「おい!俺!倒れれるもんなら倒れてみろ。本当に倒れたらそこがお前の限界って知れることになるからやってみろ」
という言葉でした。

うん、おかしいですね。

ほら、倒れてみろ

「倒れれるもんなら倒れてみろ」

そんな言葉を自分にかけながら、その後も仕事を続けたんですが、意外にも倒れませんでした。

人間、意外と倒れない、
少なくとも、急に意識が飛んだりはしないと学びました。

ってか「倒れる」って病気になることであって、
急に意識が飛んで倒れるって意味合い以外でも使われるって後から知りました

部下が増えて負荷が増えて、自分の付加価値が増えた

まぁ、
そんな感じで気合いを入れて頑張ったおかげで、売れるようになりました。
2年弱しか在籍していませんでしたが、ノルマを切ったのは1回だけでした。最後のほうの月です。
けっこうこれは凄くて、ノルマを1回しか切ったことがないのは100人以上いる中で自分以外には一人だけでした。

退職後に源泉徴収票を見たら、最後の1年は年収が900万円ほどでした。フリーター上がりの25歳としては高給取だったと思います。

でも、売れても大変なんですね。訪問販売の会社は。

ノルマを達成すると
自動的に昇格して、
毎月のノルマはどんどん上がっていきます。

実際に自分は3ヶ月で主任半年で係長9ヶ月で課長になっていました。
ついでに新しい営業所が出来たので、副所長にもなりました。
で、1年経った頃には調子の悪い営業所の所長になっていました。
入社1年の所長ってなんやねん 笑

さらに大変なのが、いきなり部下をつけられること。
売れたら昇格して部下の管理をしなくてはいけない。
24歳で5年続けたフリーターを脱出して、
入社1年ちょっとで12人の部下がいました。

その時は25歳です
マネジメントなんてできるわけがない。
今でも出来ないんだからって、うるせぇわ。

だから何をしていたかというと、
代わりに売る、という行為ですね。

誰かが営業に入っているのを後から「プッシュ」で後押しをするんですね。
自分の数字は後回しにしながら、プッシュをずっとするわけです。

プッシュは自分の数字にはなりません。
だから先に自分の数字を作っておいて、
あとはずっと部下のノルマ達成に走りまわる、みたいなことをしていました。

部下がぐちゃぐちゃにしてる商談を途中から入って立て直して、契約まで持っていく。

メッチャ大変です。
でもそれをしたことで、不利な状況からでも契約につなげられるスキルも鍛えられました
お客様を怒らせてから、本音を聞き出し、最後は契約にもっていく、
そんな経験も何度もしました。
今でもそんなトークはたまに使います。
ごめんなさい。

トークに興味を引きつけるために口調は怒っていながらも、
論理破綻せずに話を進める、そんな方法も見つけたりしました。

そして、自分の数字に集中できる限られた時間で自分の数字を達成する、
そんな集中力も身につきました。
今、思い返してもメッチャ大変でした。
周りの同期はどんどん辞めていきました。

でも、仕事を始めた時の自分は借金があるただのフリーター。
生き抜くための何のスキルも持たないただの20代の男性。
少し売れたからといって、
武器が出来たわけではありません。
辞めるわけにはいきませんでした。

そこから、自己買いで借金を増やしながらも、
会社からの無茶ぶりにも応えながら
何とかやり続けました。

最後は新会社を作るから社長をやれ、と言われて、
雇われ社長なんかやってしまったら保証人やらや何やらで
一生飼い殺しにされる恐怖を覚えて、卒業という形で辞めました。

でもそのあと、出資されて会社を作ることになったんですが、それはまた別の機会に、、、

一生食っていける人生の武器を手に入れる

でも、営業が出来るようになる前の段階、
そこで辞めていれば、いまもフリーターをしていたかもしれません。

実際に今も40代のフリーターは日本に40万人いると言われていますが、自分のその一人になっていても何の不思議もありません

この40万人の中には自分と同じか、
それ以上のポテンシャルを持っている人もいると思います。
でも、自分はそうはならなかった。

なぜか。
それは、一生食っていける、人生の武器を手に入れたから、です。

当時の自分は、
大学に進学しなかったので学歴もない。
人脈もない。
家に頼ることも出来ない。
お金も全然ない。
どころか借金だらけ。

そんな自分がまかりなりにも会社を経営出来ているのは、
寝ずに、必死に、頭がもうろうとしながら、『続けた』2年があったからです。

そして、それでしか手に入れられない営業力という武器を手に入れたからです。
社会人になってから、
中途半端だった自分が武器を手に入れるためには
あの経験が絶対に必要でした。

武器は、使わなくても、自分を守ってくれます
いざとなったら、俺にはこの武器がある、という気持ちだけでも全然違います。

途中で辞めず
やりきった自信。それがその後の自分を支えてくれました。

フリーターは時間以外に何も持っていない。
だから生きるために時間を切り売りするしかない。

簡単に変えられる部品 interchangable partsになっていては、自信を持って生きられません。

今、自分が自分の経営している会社で
中途採用の未経験の人を多く採用しているのは、
無意識に、
自分と同じように逆転が必要な状況の人に逆転の場所を提供したいと思っているからかもしれません。

失敗して入社する会社

自分が初めて入社した訪問販売の会社は
メッチャブラックな会社でした。
社長はまだ30代後半の童顔の社長でした。

恨んでいる人も多かった社長でした。

でも自分は感謝しています。
生きていく武器を身に着ける環境を与えてくれたから。
感謝は本心です。

ただ、経営者としては目指してはいません。
だからむやみに営業力を使う業態にはしません。

でも、
自分にとってもは初めての正社員になった場所というのもあって、
その訪問販売の社長が言っていた言葉はいくつか自分の中に強く残っています。

それは
入社時に言われた言葉です。

君たちは失敗してこの場所にいる。
訪問販売の業界は成功して入社するところじゃない。

君たちの選択肢は
ここで成功して、失敗を断ち切るか、ここでも失敗して失敗を続けるか、その二つ。

成功することでしか、君たちの失敗は終わらない。

という言葉でした。
超長時間労働で休みもなく、メチャメチャなクソブラックな会社で、
社員に自社買いを強要しまくる会社でしたが、
短期間で100人以上の会社に育てた社長の言葉は刺さるものが多くありました。

他にも未経験のほうが成長が早い、という言葉も少し刺さっています。

シナジーデザインも、いつか成功してきた人が入る会社にしたいと思っています。
プロのプログラマー
完全にプロのデザイナー
売る自信に満ちあふれた経験あるWEBマーケター。

そんな人が自然に入ってくる会社にしたいと思っています。

でも今は15人の小さい会社です。
だからまだ未経験の人を採用するステージの会社です。
もちろん、そうでない人もいますが失敗をして入社してくる人も多いステージです。

もし、失敗の後に、
シナジーデザインに入社したのであれば、
自分とは業種や時代こそ違いますが、ここで失敗を断ち切って、
人生の武器を手に入れてほしいと考えています。

シナジーデザインには
マーケティング
システム
デザイン
総務
4つのチームがあります。

総務チームは専門職ではなく幅広い範囲をカバーする仕事ですが、
マーケティングは自分は専門職だと思っていて、
システムとデザインは完全に技術職です。いわば職人です。

未経験の職人候補が短期間で一生食える武器を身に着けて、
しかも人生のバランスを崩さずに幸せになるきっかけをつかんでくれれば、とてもうれしく思います

まだまだ、そのためにやることは多いですが、何とか会社の仕組みも整えます。
それまでに入社した人は大変ですが、大変な状況のほうがより強い武器を手に入れられます。

一生、使える、お金を稼ぐ武器。
大変ですが、自分も経験したので、本当に大変ですが、絶対に手に入ります。辞めなければ。
フラフラでも調子が悪くてもいい。とにかく続けること。
未経験で採用した人はモノになると信じた人しか採用していません。
自分のペースでもいい。
形はいろいろある。
とにかく続けること。
お互いに信じて、未来のために踏ん張りましょう。

電子書籍にまとめてみました。

正社員が1年で働く時間は<br>たった22%ってご存じですか

「正社員が1年で働く時間は
たった22%ってご存じですか」

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