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2018年3月29日

【社会人編1】経営理念を創るために凡人この上ない自分の人生を軽く思い出してみた

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前回の記事で、20歳までの自分の人生について振り返る記事を書いてみました。

貧乏な環境の中で親が嫌いなまま子供時代を過ごして、
大学への進学をせずに下呂温泉で住み込みのバイトを始めたところまで書きました。

その後、シナジーデザインを創業するまでを簡単に書いてみたいと思いますが、
かなり長くなりそうなので、1か月くらいかけ分割して書いてみたいと思います。

1994年 19歳
不動産屋さんに良いようにカモにされてババ物件を借りる

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下呂温泉の住み込みバイト時代は、
部屋を借りるためなんしか早くお金を貯めたい
と考えて4か月間の住み込み期間はほぼお金を使わず、
短期間で40万円を貯めました。
19歳の自分としては必死にためたお金でした。

そんなお金を使ってどうせ部屋をかりるなら大阪で、
それも中心街に近いところで、と思い難波の不動産屋さんへ
「難波で部屋を借りたい」と行きました。

「難波で」、と言っていたのに、
最終的に借りたのは難波駅からは徒歩1時間の物件
1時間も歩く駅は最寄り駅ではありません。

6畳と書かれていましたが、実際には4畳半くらいのワンルーム。
築年数も20年くらいは経っていた物件なのに家賃は5万円ちょっと。
形もなんかおかしな台形の部屋で、
当時の相場としてもかなり高かったと思います。
19歳の世間知らずの兄ちゃんとして、完全にカモにされました。

ところで不動産用語の基本に
・見せブツ
・ツブシ
・決めブツ

というのがあります。

人間は比較でしか物事を判断できない、
という特性を使ったテクニック
なのですが、
部屋を借りに来た人に、まず見せブツと言われる良い物件を見せます。
借主の希望を上回る立地、設備、築年数の物件を見せます。
当然、そんな物件は予算に収まるはずもなく、
予算の2倍や3倍の値段を見せて借主に現実を思い知らせます。

その次にはツブシという、ボロボロの物件を見せます。
しかもそのボロボロの物件は敢えて家賃が高く設定されています。
こんなにボロボロなのにこんなに家賃が高いのか、
と夢を完全に潰しにかかります。

そのあとに決めブツと言われる普通の物件を見せると、あら不思議。
普通の物件なのに良い物件に見えます。
19歳の自分はこんなテクニックを使われて、
良くない部屋を契約させられたので、より一層他人は信用ならない、
騙されたらいけない、と大人に対しての不信感を募らせていきました。

悪い人ばかりではないのは分かってるのですが、
自分的にはこの印象が強すぎて賃貸の不動産関係の人は今も苦手です。

1994年 20歳
パチンコ屋でのバイトでギャンブル依存症に

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当時はとにかくお金がなく、
時給の高いバイトをする必要があって
時給が他よりもかなり高いパチンコ屋でのアルバイトを開始しましたが、
これが不幸の始まり。

毎日ホールに立って玉を運んだりする仕事だったのですが、
1日に10万円とか大勝ちする人を見ているうちに自分もやってみたい、
と思うようになり、軽い気持ちでパチンコを始めてしまいました。

ここから深い深いパチンコ地獄、ギャンブル依存症にハマっていきます。

20代と30代の前半をパチンコ、パチスロで無駄に過ごした時間は
おそらく5,000時間くらい。

いや、借金の返済のための労働などを含めると
20,000時間くらいは無駄にしています。
このパチンコに出会い、ギャンブル依存症になってしまったことが
本当に大きなマイナスの転機でした。
今はまったくやりませんが、
もう少しで人生を無駄に過ごしていまうところでした。

ギャンブル依存症は脳内の神経伝達物質ドーパミンが関係する、
れっきとした精神疾患
です。

基本的に「人は弱い」、と思っていますが
自分は特にのめりこみやすい性質を持っていて、
依存状態になりやすいと思っています。

ギャンブルやアルコールは注意しないと人生を崩壊させますので
しっかり注意をしてバランスを取りたいと思っています。

Wikipedia ギャンブル依存症
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB%E4%BE%9D%E5%AD%98%E7%97%87

厚生労働省 依存症対策
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000070789.html

1995年 20歳
西成での日雇い労働者

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パチンコ屋でアルバイトをしていましたが、
このままではパチンコにハマってしまってマズイ、
と考えパチンコのアルバイトをやめました。

でもその時点ですでにギャンブル依存になっていた自分は、
パチンコをやめられる訳もなく、
短期バイトをしてはパチンコで負け、を繰り返して
一人暮らしをしてから半年後には
西成で土木作業の日雇い労働者をする状態になっていました。

日雇い労働者は底の底にいて、
目の前にある仕事になんでも飛びつくため、
深海魚のアンコウになぞらえて「アンコ」と呼ばれていましたが
自分も完全に「アンコ」でした。

朝5時に西成の日雇い労働者派遣会社に仕事をもらいに行って、
仕事をあてがってもらいます。

仕事にありつけると、
狭い食堂があってご飯とみそ汁だけの朝ご飯を食べさせてもらえて、
昼御飯用に弁当がもらえます。
サイコロ型の赤い肉の塊みたいなのがメインのおかずの
不味さがあふれるお弁当だったのですが、
常にお金が無かった自分としてはとても貴重な食糧でした。
もう二度とあの謎の赤い肉は食べたくはないですが。

朝ご飯をたべると、弁当を抱えて、
ボロボロのハイエースに詰め込まれて神戸方面に向かいます。
今なら高速を使うと30分ほどで神戸まで行けますが、
その当時、阪神高速は倒壊していて途中までしか使えず、
一般道も震災の影響で交通状態が非常に悪かった
です。
なので毎回の渋滞に巻き込まれて、片道2時間ほどかかっていました。
すし詰めのハイエースは乗っているだけで体力が奪われて、
到着するころにはクタクタになっていました。

当時は阪神大震災で大きな打撃を受けた神戸方面の仕事がほとんどで、
ベタに穴を掘ったり、大ハンマーを振り回す解体の仕事、
あとは囚人のようにトンネルの中で延々と一輪車に載せた
大きな石を運ぶ仕事など日替わりでいろいろな仕事をしていました。

防塵マスクを付けずにアスベストたっぷりの壁の解体作業をさせられたり、
命綱を付けずにトビ職の方の手伝いをさせられたり、
ビルの解体の仕事で崩れる床に飲み込まれそうになったりと、
今思うと結構ヤバめなお仕事だったのですが、
クルマで連れていかれている以上、途中で帰るわけにもいかず
どんな仕事でも、途中で投げ出せない状況でした。

そんなにヤバい思いをしてもらえるのが1日10,500円
23年前としては悪くない金額でしたが、パチンコだと30分で無くなります
朝5時に起きて、変な肉のようなものの入った弁当を食べて、
ヤバい肉体労働をして、ハイエースに合計4時間揺られて
稼いだお金が30分で消えます。

もちろん死のうかと思います。
なんて自分はバカなんだろうかと。
反省をするのですが翌日も同じことを繰り返します。
完全に依存症ですね。
自分では止められない状態になっていました。

一緒に仕事をしている人はほとんどがオッサンで、家が無い人が多かったです。
ハンバと言われる一泊2,000円ほどの簡易宿泊所に宿泊しているので、
いわゆる「住所不定」状態の人が半分くらいだった印象です。
自分も日雇い労働をしていると分かるのですが、日払いはお金が全く貯まりません。
そもそもお金を貯められる人は日雇い労働まで堕ちません。
家賃は当時5万円くらいだったのですがそのお金もためることが出来ませんでした。

結局、家賃を3か月ほどためてしまい、
このままでは「住所不定」になる、と思い
リゾートバイトに再度行くことを決めました。

先週に西成のその場所の近くにクルマで立ち寄ったのですが、
いろいろと当時のことを思い出したので写真を載せておきます。

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長くなるので、いったんここで終ろうと思います。

この後のイベントはこんな感じでした。
また、時機を見て追記していこうと思います。

白浜でのリゾートバイト 1995年 21歳
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人生がこのまま終わるんじゃないかって焦り

訪問販売の営業マン 1998年 24歳
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今でこそ少ないけど、当時は訪問販売が普通に存在していた

最初の独立 2000年 26歳
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失敗 2000年 26歳
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トップ営業マン 2001年 26歳
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日本情報サービスという会社。
上場準備中ということだったが、結局 上場できずに倒産。

太陽光発電の営業  2001年 26歳
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2回目のチャレンジ 2002年 27歳
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人を入れて会社を設立して再開。
会社名は「シナジー有限会社」
雇っていた社員にボロカス言われて終了。

一人で放浪しながら営業代行 2004年 29歳
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パチスロでメシを食う 2006年 31歳
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2006年 31歳
シナジーデザインを創業。

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