代表ブログBlog

【学生編】経営理念を創るために凡人この上ない自分の人生を軽く思い出してみた

20130414_140145

ここのところ、経営理念を頑張って作ろうと毎日をすごしています。
調べれば調べるほど経営理念は経営者の考え方、哲学や生き方に関係すると痛感しています。

自分にとっては当たり前に感じる考え方も過去の出来事や経緯を知らないと「何でそんな発想になるのか分からない」、ということになるのが自然だと思います。経営理念は経営者の考え方を表したものになるので、それを作るなら自分がどんな人生を送ってきたかを簡単に書いておく必要があるのかな、と思い少し振り返ってみます。
失敗だらけでまったく大した人生ではないですし、編集をせずに公開することになりそうなので散らばってしまいますが、少しでも理念をストレスなく受け入れてもらえるように簡単に書いてみたいと思います。

ダウン症の兄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
自分には二つ年上の兄がいますが、その兄の存在が自分の考え方に大きな影響をあたえています。
40年ほど前は 障碍者への差別意識はまだ根強く社会に残っていて、ダウン症児は「ガイジ」と呼ばれてイジメの対象になっていました。ウチの兄も同じです。
小学校に入ると、「お前の兄ちゃん、ガイジ、お前の兄ちゃん、ガイジ(笑)」とからかわれ、そのたびに手を出してケンカをしていました。同級生はもちろん兄の同級生ともケンカをしていたので、低学年のうちは学校でも一番とっくみあいのケンカしていた子の一人でした。そのころは、兄ちゃんは自分が守らなきゃ、という自分なりの正義感を強く持っていたんだと思います。
この頃の経験から、ケンカっぱやいという面 と 有利な立場の人より不利な立場にいる人に感情移入する、という自分の性格が形作られてきたのかな、と思います。今、兄は奈良の養護施設に入っているのですが基本的に月に1回程度は家族で会いに行くようにしています。

貧乏
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
こどもの頃は貧乏だと感じていました。自分よりももっとお金が無い環境で育った方も多いと思うので自分は貧乏面ではまだまだですが、自分は貧乏な家の子供、と認識をしていて、そのことも自分の考え方に大きな影響を及ぼしています。

親戚の家の手伝いですが中学校1年生の時に1日4時間ほど時給360円でアルバイトをしたりして10万円ほど貯金していましたし、高校はどうせ受かっても行かせるお金が無い、という理由で私立を受けさせてもらえませんでした。公立一本だったので合格発表を見に行くときはこれで自分の番号が無かったら即、働かなきゃって思ってたことを覚えています。
高校は両親の収入が少なくて、学費が無料になるという扱いを受けていました。両親が健康なのにこの制度を利用していたことが、当時は本当に嫌でした。

あと、自分の左腕は1歳半の時に骨折したのですが、その時にしっかりと治療をしてもらっていなくて、思いっきり曲がっています。なぜちゃんと治療をしなかったのか?と親に尋ねたところ
「お金がなかったから」
というような返答が帰ってきてショックを受けたのを覚えています。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
皆が通る道だと思いますし、今は仲直りしているのですが、両親と仲がわるかったのも自分の人格形成に大きく影響していると思います。
上記で書いたように貧乏な状況を父親のせいにしていましたし、自分の問題を自分で処理できずに両親に責任を転嫁していたところもあると思います。親を信用していなくて、いつでも自分で何とかしなきゃ、という不安がずっと心にあったのが大きいのですが、甘えるのが苦手で、独立心が強かったりするのは、このあたりの経験が大きいのかな、と思っています。

子供の頃から親と似た世代の年上の人は反発する対象だったので、年上の人に可愛がってもらう、という若くして成功するために必要な要素が決定的に不足していました。今は年上のお客様にいろいろとよくして頂いて年上の人への苦手意識は無くなっています。

今になって自分が悪かった点も多くあったと反省をしているところも多くて、親も年を取り、孫を連れて行くととても喜んでくれるので季節ごとぐらいには家族で訪問しています。

大学に進学せず
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
高校は中途半端な進学校に通っていたのですが、やっぱり貧乏だったのもあり私立を受けることが出来ずに国公立一本で受験をしました。大学受験の時も塾や予備校は一切いかずに自分で勉強をしました。
結果、現役の時は大阪市立大学と大阪府立大学に不合格。1年間の浪人生活を経て神戸大学に合格をしたのですが結局行かず5年間フリーターをすることになりました。
行かなかった理由はいくつかあるんですが、合格発表の頃にはすでに岐阜県の下呂温泉で住み込みで働き始めていて、王道ではない人生を選んだと思っていたこともありました。
もし、大学に行っていれば、どんな人生になっていたのか?とたまに思うことはあります。

下呂温泉で住み込みバイト
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
大学進学をしないことを決め、親と仲が悪かった家を出ることを決めたのですが、それまで浪人で勉強をしていたこともあり、部屋を新たに借りるお金はありませんでした。選択肢としては住み込みで働くしかない、と思ってバイト雑誌を買ったのですが住み込みで働けるところが岐阜県の下呂温泉のみらの里というホテルだけしか載っていませんでした。
思い切って電話をするとアルバイトは募集しているとのこと。「じゃぁ、住み込みで来週からお願いします。」と告げて採用決定。
ですが、お金が2万円くらいしか手元になくて、交通費を使ってしまうと1か月の生活が出来ません。そこでクルマを持っている浪人時代の友達に奈良から下呂温泉まで送ってもらうようにお願いしました。
その友人は次の日が同志社大学の受験だったにもかかわらず、快く引き受けてくれ、無償で奈良から下呂温泉まで一人で運転して送ってくれました。最初は二人で行く予定だったのですが、すでに合格を決めていた友達が、なんか面白そうなイベント、って思ってくれたのか結局 軽のハコバンに定員オーバーの5人で乗り込んで岐阜県までオール下道のロングドライブになり、とても楽しかった思い出が残っています。
その運転していた友達は、今は吉本所属の芸人さんになって活躍していますので、テレビで見るたびに刺激を受けています。彼は本当にいい奴です。

で、4か月の住み込み期間にほとんどお金を使わず、40万円ほどため、大阪で部屋を借りることが出来ました。
なぜかワーキングホリデーで同じように住み込みで働いていたクリスというイケメンニュージーランド人と仲良くなり、大阪で一緒に住むことになりました。
大阪でアルバイトで働き始めたころに20歳の誕生日を迎えました。

、、、とまぁ、こんな感じで過ごしたのですが、この時までにした色々な経験も自分の人格形成に影響しています。
経営理念に触れてもらうときになぜ、そのような考え方になったのか、について理解の助けになれば嬉しく思います。

20歳を過ぎてからの分も書きたいと思いますが、意外と時間が掛かるのでまた別の機会に書いてみたいと思います。

クルマ業界専門のホームページ作成ツールを開発しました。

デキテルバナー 車検料金表や中古車情報や季節ごとのキャンペーン情報の枠が用意されています。
クルマ業界専門だから実現できるピッタリ感の強いサービスです。
デキテルHPへ

このページの上部へ戻る